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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)3693号 判決

原告 清水省吾

右代理人弁護士 大橋誠一

被告 中島輝臣

被告 中島美恵子

右両名代理人弁護士 伊藤敬寿

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

原告が昭二七年一〇月二七日夜小松川警察署管下の小松川五丁目巡査派出所で木村巡査部長から原告主張のような詐欺容疑事実について取調を受け、その後同警察署から右事件の送致を受けた東京地方検察庁においても同様取調を受けたことは、当事者間に争いがない。

原告は、右のような取調を受けたのは被告両名の行為が原因となつていると主張し、被告等はこれを争うので、まずこの点について判断する。

被告輝臣がシート販売業を営んでおり、被告美恵子がその妹で被告輝臣と同居していること、および被告輝臣と原告とが知合の仲であることは、当事者間に争いがなく、甲第二号証の一ないし五、同第八号証の一、二、乙第一号証の一ないし三(いずれも真正にできたことに争いがない。)と証人木村国栄、同佐藤忠雄の各証言、被告中島美恵子、同中島輝臣の各本人尋問の結果とを合せ考えると、次の事実を認めることができる。昭和二六年一一月一八日、被告美恵子が被告輝臣方で兄輝臣の不在中店番をしていると、白髪まじりで背丈は五尺前後、金歯を入れていて話するときにうす笑いをするような癖のある五〇才位の男が訪れ、雨合羽四着を七千円で買い求め、一万円の金額が記入してある小切手様の紙片一枚を手渡したので、同被告はこれで銀行から支払を受けることができるものと思い込み、釣銭として三千円をその男に渡したところ、同人は品物を届けてくれるよう言い残して立去つた。ところがそのあとで同被告は、右小切手様の紙片では銀行から支払を受けることができないのを知つてはじめて騙されたことに気付き、間もなく帰宅した兄被告輝臣にそのことを話した。そこで被告輝臣は早速その頃所轄小松川警察署に詐欺被害届を提出した。被告美恵子は右のことが忘れられず、昭和二七年九月頃自宅の前で知合の松浦某と犯人に似た男とが挨拶を交しているのを見かけ、あとから松浦に尋ねて、その男が近くの推橋湯のそばで乾物屋をしており、保険の外交もしていることを知つたので、その約一週後にたまたま隣家を訪れた小松川警察署の木村国栄巡査部長に対しそれまでの経過を話した。木村部長はこれを聞いて早速同警察署東小松川五丁目巡査派出所勤務の佐藤忠雄巡査に右犯人の捜査を命じた。同巡査はこれにもとずき犯人の内偵に当つていたが、その結果被告美恵子の言う犯人に似た男というのは原告であることをつきとめ、一方被告輝臣が原告と知合であることを知つたので、同年一〇月初旬頃被告美恵子に対し、被告等兄妹の方でも原告が犯人であるかどうかを確めるように依頼した。こんなことから同月二六日に被告輝臣が、たまたま自宅前を通りかかつた原告を呼び入れて世間話をしたもので(このことは当事者間に争いがない。)、これはもとより被告両名の予め意図したところであつた。その機会に被告美恵子が原告の人相や特徴を観察して原告がまず犯人に間違いないとの確信を深め、翌二七日被告両名がその旨を佐藤巡査に話したため、同巡査から報告を受けた木村巡査部長も原告が詐欺犯人であるとの疑いを抱くに至り、同夜から原告に対して取調が行われることになつた。

このように認められる。この認定に反する被告本人中島美恵子、同中島輝臣の各供述部分はにわかに信用することができないし、他にまた右認定を覆えすに足りる証拠はない。

なおその後の捜査に当り、被告美恵子が木村巡査部長等捜査係官に対し、原告が犯人に間違いない旨を述べたこと(このことは当事者間に争いがない。)も、前認定の事実に合わせて考えるときは、捜査機関の原告に対する疑いを更に深めたものであることを窺い知ることができる。

以上の経緯から見ると、原告が警察および検察庁において取調を受けたのは、被告両名が相協力して捜査機関に対し、原告が犯人に間違いない旨を申し述べたことが原因となつているものであることが明らかである。この点に関する原告の主張は理由がある。

さて、原告は、詐欺犯人でもないのに捜査機関から犯人扱いをされ取調を受けたことにより自己の権利を侵害された、と主張しているのであるが、犯罪の容疑がある者に対して捜査機関が取調を行うことそれ自体は現行法上容認されているところであつて、それが適法かつ妥当な範囲で行われる限りにおいては、たとい被疑者がこれによつて恥辱を感ずることがあつても、それだけで被疑者の権利を侵害したことにはならない。捜査機関の取調が違法又は不当な方法によつて行われたとか、犯人でないのに取調を受けたという場合にはじめて人格権(名誉権)の侵害ということが起りうるのである。したがつて本件のように原告が、取調そのものの違法、不当を問題とするのでなく、被告等が捜査機関に対し原告を犯人と指摘したことをとらえて違法であるとし、その結果人格権を侵害されたと主張して、民事上損害賠償を積極的に求めようとするためには、まず自己が犯人でないことを立証しなければならないものと解すべきである。

ところで、原告が東京地方検察庁で犯罪の嫌疑がないとの理由により不起訴処分になつたことは当事者間に争いがないけれども、このことだけで原告が犯人でないことを認めることはできないし又成立に争いのない甲第四号証の一ないし四の各記載、ならびに原告本人の供述のうちには、原告が犯人でないとの右主張に副う部分があるけれども、これらは後記各証拠に照らしてにわかに信用することができず、他にまた原告の主張を認定するに足りる信用すべき証拠は存在しない。かえつて前記木村、佐藤両証人の証言、ならびに被告中島美恵子本人訊問の結果によれば、原告の容貌、背丈などが詐欺犯人ときわめてよく似ていること、および前記巡査派出所で木村巡査部長の取調を受けた際、原告は、「被告輝臣は知らない。」と嘘のことを述べ、筆蹟を対照するため文字を書かされると一、二字書いただけであとを書き渋つたり、被告美恵子と対面させられるや一瞬狼狽の色を示して同被告を正視することもできない様子であつたことが認められ、したがつて、原告が犯人だと疑われる点も無いわけではない。

結局原告が犯人でないことについて証明がないことに帰するので、原告の主張はこの点において理由がない。

したがつて自己の人格権名誉権を侵害されたことを前提とする原告の本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく、失当として棄却すべきものであるから、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 新村義廣 裁判官 石橋三二 吉田武夫)

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